
経営理念
経営理念

スローガン

社訓「斯く心掛け度い事7カ条」
一.親切で礼儀正しく住みよい社会を作ろうではないか。
一.仕事は追いかけられるんではなく工夫し計画し追いまくるんでなければならない。
一.大胆に行くべき事、細心に行くべき事との区別が出来ない者は成功しない。
一.名よりも実を取る呼吸が大切だ。
一.進むべき場合と退くべき場合との判断を誤ってはならない。
一.小事に没頭し大事を忘れる者は人の上に立つことが出来ない。
一.物を造る事業は即ち技術を買って貰う商売である。常に技術の研磨を忘れてはならない。
1958年8月制定
我が社のルーツ
戦国時代の瀬戸内海では、複雑な海流を読み機動力に溢れ、周辺海域の制海権を握っていた「塩飽水軍」に、卓越した造船技術を持つ船大工集団が多数いた。この船大工集団は「塩飽大工」と呼ばれ、江戸末期から明治に宮大工や家大工に転身し、中四国や近畿を中心に名だたる寺社仏閣の建築を手がけ活躍した。
創業者松本吉平は、塩飽水軍の本拠地である塩飽諸島の塩飽本島で生を受け、父粂三郎もこの地で生を受けた塩飽大工の気風を受け継いだ厳格な棟梁で、吉平は尋常小学校卒業後に父の薫陶を受け建築技術を習得した。その後、吉平は徴兵され日露戦争に従事し、除隊後の大正4年(1915)に岡山市内で大工の棟梁として生業を立てた。この日を創業として、幾多の困難や経営危機に遭遇しながらも平成27年(2015)に創業100周年を迎えた。
塩飽大工の流れを汲む数少ない建設会社の源流がここにあり、これからも私たちはこの歴史と伝統を守り続けて行きます。
創業者松本吉平は、塩飽水軍の本拠地である塩飽諸島の塩飽本島で生を受け、父粂三郎もこの地で生を受けた塩飽大工の気風を受け継いだ厳格な棟梁で、吉平は尋常小学校卒業後に父の薫陶を受け建築技術を習得した。その後、吉平は徴兵され日露戦争に従事し、除隊後の大正4年(1915)に岡山市内で大工の棟梁として生業を立てた。この日を創業として、幾多の困難や経営危機に遭遇しながらも平成27年(2015)に創業100周年を迎えた。
塩飽大工の流れを汲む数少ない建設会社の源流がここにあり、これからも私たちはこの歴史と伝統を守り続けて行きます。
我が社の企業心

社章、袢纏について
![]() |
創業者。松本吉平の「吉」を![]() |
---|---|
![]() |
1958年(昭和33)4月1日、竹内清画伯図案の社章を制定した。 |
![]() |
CI導入で制定された新しいシンボルマークは、まつもとコーポレーションの活動基盤である岡山県の風景(瀬戸内の海と島)を象徴している。「M」の形はMATSUMOTO CORPORATIONのイニシャルにも通じ、4本のブルーラインと合わせて、未来に向かって躍進・上昇する姿を表している。 |

袢 纏
丸は完全と円満、和を吉は初代社長吉平の「吉」を表していた。又袢纏の襟文字は右襟に『土木松本組』左襟に『建築松本組』と紺の地に白で染め抜いた。戦後復興に向け時代感も変化し袢纏を着る機会はなくなったが、平成29年5月に65年振りに復活させ、主に建築工事の地鎮祭、竣工式に着用することにした。